「怒り」について(2002/3/6まとめ)

感情というものは、人間を人間らしくしている大きな要素の一つです。泣いたり怒ったり笑ったりする事が多い人ほど、人間味のある人だと言えます。

ところが、日本の現代社会では、この感情を抑える事ばかりを教育する傾向があります。たくさんの人が自分の感情を出す事に抵抗を感じています。特に多いのは、怒りの感情を抑える傾向が強い人です。

ご存知でしょうか、怒りの感情は、人の生気の源と言える感情であり、また自己防衛の為には必要不可欠な感情です。

怒りは、自分に対して攻撃が加えられたと感じた時、また自分に不利益が振りかかった時、また自分の好まない不快な状況が自分に向けられた時などに自然と沸き上がる感情です。これは自分の身を守る為に自然と防衛反応が起こっているのです。

日本人には、「感情をあらわにする事ははしたないことである」という感覚があり、中でも特に怒りは表に表してはならないという暗黙のルールがあります。たいへん素晴らしい美意識です。しかし、感情の処理の方法についてはあまり知られていないので、現代では処理の仕方も同時に考えていく方が良いのではないでしょうか。

こんなケースがあります。

先日、上司に、営業成績が悪いことをなじられました。皆の前で叱られ、とても落ち込みました。何だか、それ以来、仕事に対して意欲が湧かないのです。上司の言う通り頑張らなければならないと思うし、やるしかないんだと頭では思うのですが、どうしてもやる気が出ません。

もう、仕事を辞めようかとさえ思っています。

「あなたは、上司に叱られた時、どう思いましたか?」

この不況の中で、ノルマを果たすのは簡単じゃありません。だいたい、ノルマが高すぎるのです。事実、ノルマを果たせなかったのは自分だけじゃなかった。他にも何人もいたのに、私だけが大声で叱られたのです。

「自分だけが皆の前で叱られたことに、腹が立つんですね?」

ええ…。でもなんというか…腹が立つというよりつまらなくなりました。落ち込みました。気持ちが沈んで、もう何もかも嫌になってしまいました。

この方は、しきりに落ち込んでいると訴えていますが、これはこの方の本当の感情ではありません。この方は、怒りを抑えているのです。自分が怒りを感じている事から目を背けて、怒るべき場面では悲しみや自己否定、劣等感などにすり替えて処理する癖をつけていました。そこで、怒りを解放する(注:)カウンセリングを行いました。

怒りを感じる事は、決して悪いことではありません。怒りをどう処理するのかを間違うことがいけないのであって、怒りそのものは悪でもなんでもないのです。すべての生きものがそうであるように、自分を守ろうとする事は全然悪くありません。自然に湧きあがる怒りは防衛の為の感情です。

自分は、怒りを感じてもいいのだと思えるようになった彼に、怒りの処理の方法を教え、ちょっと練習してもらいました。簡単な事なのですが、一人になれる場所で、枕を殴るとか、相手に言えなかった事を声にだして言うなどといった事です。え、そんな事でと思うかも知れませんが、怒りは具体的行動で吐き出せば出すほどきれいに消化されて、なくなっていきます。相手に直接言う必要はないのです。

カウンセリング後、彼は明るい表情になり、落ち込みもきれいに解消しました。

居酒屋で上司の悪口を肴に一杯やっているサラリーマンが居ますが、あれは正しい怒りの処理のひとつだと言えます。もちろん一緒にお付合いしてくれる人を選べば、ですが。

現代社会の教育がそうなっているのでしょうか、怒りを感じることさえも悪いと思い込んでいる方が、非常に多いことを感じます。これは心の自然な感じ方をゆがめる事で、私は、是非そのような思い込みは止めたほうがよいと言いたいと思います。


注:怒りを解放するという事は、怒りを感じる自分を素直に受け入れるという事です。怒りを押さえ込んでいる方は、たいてい怒りを解放しますというと、「怒りを感じると自分が制御できなくなるのではないか」とか「ずっと何にでも怒ってしまうのではないか」とか「上司になにか仕返しのような事をしてしまうのではないか」というような不安を訴えますが、そんな事は決してありません。怒りは比較的簡単に処理できる感情です。

ただし、怒りの処理方法を間違うと大変不幸を招きます。始終怒っている、いわゆる怒りっぽい人は、自分を怒らせた対象(人、もの、事柄)そのものへ怒りをぶつけてもいいと考えているようです。しかし対象そのものに仕返しのように怒りをぶつけても、怒りは解消はしません。これは間違った処理方法の代表例と言えます。解消しないので、始終怒り続ける事になり、怒りっぽい人と言われるようになります。

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