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アメリカでは、獣医師と心理カウンセラーが連動して、ペットが死亡した際に、飼い主の心のケアを行います。時に、愛するペットを失った悲しみというものは我が子を失った時の悲しみに匹敵すると言われています。私自身、幼いころから動物と一緒に暮らしてきています。度々、その家族同然の動物達が短い命を終える場に立ち会ってきました。愛しい柔らかな毛に触れることが二度とできず、愛くるしいあの瞳に見つめられる幸福を永遠に失ったのだという、その悲しみの深さは、人生の苦しみのうち、もっとも辛いものの一つと言えるでしょう。
しかし独特なのは、動物が死んだ時、私たちは人にその悲しみを訴える事が出来ないという事です。死んだのが親や兄弟ならば、周囲の人も思いやりと温かい心でそっと接してくれるでしょう。しかし、動物が死んで悲しんでいる人に対して、同様の思いやりをもって接してもらえる期待は、ほとんど出来ないのが実情です。
このような特殊な事情の中、飼い主の心は社会から孤立し、悲しみは癒えるチャンスを失って心に居座ることになります。
皆さん、人が亡くなった時、お通夜やお葬式、初七日、49日法要と、大変たくさんの儀式がある事をご存知でしょう。これらの儀式には、深い悲しみを癒す効果があるのです。遺族は、これらの儀式を粛々とこなしていくたびに悲しみを吐き出すチャンスを得ます。集まった人から心のこもった励ましを受けたり、故人と親しかった人と思い出を語ったりする事で悲しみを癒すのです。そして儀式が終わるたび、悲しみは段階的に少しづつ消化されて消えて行きます。もちろん家族を失った悲しみは完全に消えることはありません。それでも生活に支障のない程度まで徐々に、消化されて消えていくのが普通です。
ところがペットの死には、そのような儀式はほとんどありません。誰かとそのペットの思い出をじっくり語り合う事も少ないでしょう。ましてや心のこもった慰めや励ましを受けることは、決して多くありません。
会社で、ペットが死んだからとしょんぼりしていても、「どっちみち先に死んでしまうんだから」とか「いつまでも引きずるような事じゃないよ」などと心無い言葉をもらったりして、余計に落ち込んでしまいます。言葉で言わなくとも、「ペットのことくらいで…」という無言のメッセージを感じることも多いでしょう。
ペットロスは、孤独によって引き起こされます。誰ともそのペットへの想いを分かち合う事が出来ないために、悲しみの無限ループから脱出することが出来なくなるのです。
ペットが死んだ時、飼い主はそのペットの一生涯を思います。
私といて、この子は幸せだったんだろうか。十分にこの子にしてあげたんだろうか。あの時、この子にあんな事をしてしまった。あの時、この子はあんなに私を慕ってくれていた。私はそれに十分に報いたのだろうか。もう一度会いたい。もう一度抱きしめたい。そしてこの子に聞きたい。私といて幸せだったのか?
寂しくてたまらない。胸に穴が空いているようだ。もう一度あの子に会いたい。悲しくて悲しくて耐えられない。もう一度抱きしめたい。とてもあの子なしでは生きていけない。
いい加減、立ち直らなければ。それは分かっている。でもこんなに辛いのにどうやって…?
そんな事を想って、ずっと飼い主は癒されない悲しみの中に居ます。
悲しみが癒えないのは、これらの「思い残し」によるものです。ペットロスケアのプログラムは、この思い残しを消化していく事に重点を置いています。思い残しを消化した時、飼い主の心はようやく悲しみを受け入れ、ペットの死という事実を受け入れ始めます。
ペットは健康維持、食料の確保、安全の確保、幸福の確保のすべてを飼い主に依存して生きています。つまり飼い主なしでは生きていけません。自分自身に完全に依存する命があるという事が、飼い主の心の支えになっていた場合(共依存)、このペットを失った飼い主の心は完全にバランスを崩してしまいます。これがペットロスを重症化する原因の一つです。
基本的には、親しい人の死(肉親、兄弟、親友など)のケアプログラムと似ていますが、ペットが完全に飼い主に依存して生きている存在であるという点では、幼い子供を亡くした場合のケアともっとも近いでしょう。幼い子供も親に依存して生きている存在だからです。
ペットロスは、専門的なケアが必要な症例ですが、残念ながら日本においてはそのほとんどが放置されていると言えるでしょう。
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